カブで鎌倉寺社ツーリング前篇

春の温かい週末、スーパーカブ110でちょっと出かけようと考えました。
行き先は、鎌倉。

まー鎌倉市はお隣ですので、数限りなく行っています。もちろん、数々の寺社にも参拝している。遠足にも行っているし、友達も住んでいます。
おもだったところはほとんど20代のころには制覇してしまっており、今更わざわざ……って気持ちもあるんです。

それに、鎌倉って「古都」のイメージがある土地ですが、実は意外と古い建物は少ない
国宝建造物は2つしかない。大仏と円覚寺舎利殿です。後者は一般公開されてない。
京都は応仁の乱でみな燃えましたが、鎌倉は一つの戦で燃えたわけではなく、鎌倉時代から室町時代、戦国時代の数々の戦いで徐々に消えていった。戦国時代末期にはもうほとんど建物が建っておらず、漁師がパラパラ住んでいるだけの寒村になっていたという。当時の由比ヶ浜は、死者を埋葬あるいは捨てに来るような、そんな寂しい場所だったんです。

鎌倉が復興するのは江戸時代
徳川家康は源頼朝を非常に尊敬しており、ゆかりの地の鎌倉が寂れているのを見て忍びなかった。
鶴岡八幡宮も建長寺も、大々的に復興していきます。
いま鎌倉に建つ神社仏閣の大半は、江戸時代のものなのです。江戸時代には江の島や鎌倉は大観光地となり、江の島詣で、鎌倉詣での旅人が続々と東海道を歩いてきた。江戸から女の足でも来やすいので、非常に人気でした。

そして明治維新後の神仏分離令。全国で数千の神社が統廃合によって消滅した。そして廃仏毀釈。全国で数千の寺が消滅した、日本宗教史有数の大事件です。
鎌倉の寺社も例外なく神仏習合が進んでおり、このとき相当な数の建物が取り壊される。鶴岡八幡宮にあった仏塔もこのとき消えた。何度も書いてますけど、織田信長と明治政府が出現しなければ、今の日本には数十倍の国宝文化財が残っていたはずなのです。

そして、関東大震災。このときも多数の建物が倒壊し、鎌倉は壊滅状況に陥った。
そうしたわけで、鎌倉には古建築がとても少ない。さらされてきた状況は、京都よりずっと厳しいのです。




スーパーカブで自宅から30分ほど。
まずは甘縄神明宮に入りました。
なんと、2月末なのに桜が咲いてる!品種がソメイヨシノじゃないようです。
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この神社、鎌倉でもマイナーな神社なのですが、実はその歴史は鶴岡八幡宮よりも古い。奈良時代、711年の創建とされています。
明治以前は、甘縄寺の神明宮という形で、寺の中にある神社、という形の神仏習合の神社でした。
行基による創建と伝わりますから、甘縄寺という寺でした。

その創建の由来は、江戸時代に書かれた縁起にかかれているのですが、まあ相当後世に書かれたものだし、かなり盛っていると考えられる。行基による創建というのも怪しいといえば怪しい。一説によると、伊勢神宮の別宮として作られたのが元で、行基云々というのは後付だという説もある。
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建物は関東大震災で全壊しており、今見る建物は昭和の再建です。
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甘縄(あまなわ)はこの周辺の古い地名とされ、海女または尼から来ているという説があります。また、建っているこの山は神輿山といい、古くは見越と書いたようです。「かまくらの見越の山」が万葉集に出てくる。
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長谷寺の近く、御霊神社に到着しました。
なんと、境内は写真撮影禁止と書いてある!
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写真の撮れ高がないから、文章で埋めるしかない。
御霊(ごりょう)神社という名の神社は京都はじめ各地にありますが、その共通点は実在した人物を神として祀っている、という点です。故人の霊を祀るから、御霊神社なのです。
この神社は平安後期に創建と考えられており、いわゆる坂東平氏鎌倉党の五家の祖先神を祀ったのが起源といわれる。

平氏鎌倉党の五家とは、鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏です。
いずれも現在も住所に地名が残っている。
それが徐々に鎌倉氏、それも一番有名な鎌倉権五郎景政を神として祀る神社へと変わっていった。

坂東平氏は、平安時代前期、関東の地へ入植してきた高望王を始祖とする武士団です。
当時皇族があまりに増えすぎて、朝廷の問題となっていた。そこで桓武天皇の子、高望王や、清和天皇の子たちがまだ未開のフロンティアだった関東地方などにいわば追い払われてしまい、そこで田畑を開発しつつ生きていくことを強いられた。当時の関東は、富士山大噴火の影響で都との往来が困難となっており、役所の力が衰えて治安が大幅に悪化していた。「蹴馬の党」と呼ばれる盗賊団が横行し、また蝦夷との闘争も続いていた。
そこで農民たちは自衛のための武装をせざるを得ない状況でした。

高望王は「平」の姓をもらって上総介に任じられ、今の千葉県北部から茨城県南部に入り、開拓を進めました。
その子には平国香、平良将、平良文などがおり、武装地主=武士団へと変わりつつさらに版図を広げました。まだ当時は武士という単語はなく、本人たちは武装した農民地主を「もののふ」あるいは「つわもの」と自称していた。
そうした武士たちは耕作地を求めて関東一円へ散っていく。平良文は今の藤沢市村岡に居をかまえ、村岡五郎と名乗ったことで知られる。また、平国香は平貞盛の父、平良将はあの将門の父です。彼らはたまに戦い、たまに協力して関東全域に広がっていった。

鎌倉権五郎景政は高望王のひひ孫にあたる。彼の父の代に鎌倉(一説には由比ヶ浜近辺)に居を構え、鎌倉氏を名乗ったという。今の鎌倉の始祖にあたる人物です。だから、鎌倉の守り神とされたわけです。
景政は豪傑として知られ、特に有名なのが後三年の役でのエピソードでしょう。まだ16歳だった彼は、右目に矢が刺さり、刺さったまま戦い続けた。しかし自陣に戻ってきた際、ぶっ倒れてしまったのです。
それを見た同輩の三浦為継が矢を抜こうと片足を景政の顔にかけたのですが、景政は刀を抜いて為継に斬りかかろうとした。驚いた為継が理由を聞くと、景政は矢に当たって死ぬのは武士の本懐だが、顔を踏まれるのは武士の名折れだと言った。
そこで為継は膝をかがめてから矢を抜いたという。

目に矢が刺さったまま戦った景政にあやかり、この神社は目の病気に効き目があるとされています。
僕は老眼が進みませんように、と祈っておきましたw


境内撮影禁止のこの神社、理由は察しがつく。
このアングルです。この向こう側から撮影するポイントが、大人気になってしまった。
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江ノ電の踏切、その先に鳥居があって神社がある。
この日本でも珍しい光景が、日本人にも外国人にも大人気なのです。江ノ電が通るタイミングを見て鳥居越しに撮影するアングルが非常に映える。
おそらく、参拝目的でない人が相当集まってしまったんでしょう。有名になるとこういう事が起きる。

鎌倉も外国人が大勢歩いており、9割は行儀良くしていますが、外国人にとって、「踏切」というものは非常に珍しいらしいのです。踏切をバックに記念撮影する外人を何人か見た。ここにもそういう人が集まってしまったと思われる。
そういえばフランスでは踏切って一度も見なかったなあ。踏切が日本名物だってのは盲点でした。





由比若宮という小さな神社に来ました。
鳥居と小さな祠しかないこういった形態の神社は、おそらく最も古く原始的な神社の形態です。
今は大きな本殿がある神社も、当初はこういう形だったものばかりでしょう。
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由比若宮は、鶴岡八幡宮が元々あった場所とされています。
平安時代1106年、源氏の棟梁源頼義によって、京の石清水八幡宮から神様を分けてもらってここに祀った。もとの名称は、鶴岡若宮寺といって神仏習合による八幡大菩薩を祀る寺でした。

頼義は前九年の役で軍を率いて奥州で戦ったことで有名。さらに有名なのが、子の八幡太郎義家です。
義家は石清水八幡宮で元服し、以降八幡神を自らの守護神として八幡太郎と名乗った。彼はもっとも熱心な八幡神の信奉者となり、行く先々に八幡神を祀っています。
その原点となった神社が、ここなわけです。義家はここを修理し、整備している。
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1180年、鎌倉入りした源頼朝は、少し北の地に神社(当時は寺)を移しました。それが鶴岡八幡宮。
なので由比若宮は鶴岡八幡宮と一体のもので、現在も管理者は鶴岡八幡宮です。




有名な銭洗弁天のすぐ近くには、佐助稲荷神社がある。
が、ここの前の通りはいつの間にか土日通行止めになってしまっていた。仕方ない、勝手知ったるものです。僕はここは何度も来ており、裏側から山を越えて行けるルートを知っている。

この、急なハイキングコースを登っていき、一山越えるとそこが佐助稲荷神社です。
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ここへ来るのは5回目くらいかな?鎌倉でも好きなところです。この神社は、源頼朝による創建だと言われています。佐助は当初は三介と書いたようです。
源頼朝は「佐殿」と呼ばれていたのは有名ですが、彼を助けた神社だから佐助だ、という説もある。が、どうも怪しいですねえ。元の字が違うんだから。
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この神社はそれほど文書にも登場せず、歴史の舞台となったことはあまりないのですが、どうも鶴岡八幡宮の別宮という扱いがずっと続いたらしい。「旅宮」といって本宮である八幡宮の「非常時の避難先」として機能していたようです。
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それよりもこの神社が有名なのは、ドラマ映画やアニメの舞台となってきたから。
この鳥居の景色といい、「映える」景色が多い。僕もアニメやドラマでここが出てくるたびに、「おっ」と反応していたんです。
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by punto1150 | 2026-03-22 19:58 | ツーリング・旅行 | Comments(0)

Vストローム800DEとランドローバーディフェンダーで遊びに行く日記帳です。


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