朝5時起床。早速温泉に入る。
ここの温泉って、匂いもないし透明で温泉っぽくないな、なんて思っていたんですが、お湯から上がって後にずーっと体が熱くて汗かく。湯冷めしないんです。部屋に帰っても体がカッカと熱いので、風邪引いたかと思った。肌も髪もツルツルする。温泉は高得点です。
朝7時に朝食。ビュッフェスタイルです。
料理も美味しいですが、米が美味い。やっぱり米どころだなあ福島県は。昨晩は混ぜご飯だったからわからなかったが、とてもいい米です。
8時にチェックアウト、出発です。
白河高原カントリー倶楽部のホテル、きれいだし温泉もいい。食事もたっぷりで美味しかった。
減点するとしたら、部屋のテレビの小ささと音質の悪さ、そして館内販売のジュースの高さですね。ホテルなんだから飲み物で儲けようとしなくてもいいのではないかな。総合で85点にしましょう。
ここは標高800mを超える高地ですが、気温6℃と昨日に続いて季節外れの暖かさ。
正面に見えるのは那須連山のひとつ、三本槍岳かな?
走り慣れた国道121号に入って北上。ここはもうすっかりドライで残雪もほとんどない。
会津盆地に入った。遠くに磐梯山が見える。
会津ころり三観音。
今年84になる僕の母はピンピンしてますがw その口癖が長患いせずコロリと死にたい、なんですわ。
まあ、世の年寄みながそう思ってるでしょうが、寝たきりや長期間の入院などせず、気がついたら死んでた、くらいのコロリと死にたい、その願いを叶えるのがいわゆるピンコロ寺またはポックリ寺です。
ピンコロはピンピン状態からコロリと死にたい、ポックリはそのままですな。
正直言えば僕もそうありたいので、僕自身のためでもある。その願いを叶える最も有名なポックリ寺が、会津ころり三観音なのです。
その一か所目が弘安寺。一般的に中田観音と呼ばれています。
本尊の観世音菩薩像は、この寺の創建由来となっている、長い物語がある仏像です。
かいつまんで書きますと、鎌倉時代、少し離れた場所に江川長者と呼ばれる富裕な家がありました。なかなか子が生まれなかったものの、神仏に祈ってようやく女の子を授かった。
が、その女の子が成長して地頭の武士に一目惚れした。彼女は悩みを募らせて、寝込んでしまったんですな。そしてとうとう、恋の病で死んでしまったんです。
長者の両親は悲しみにくれ、娘の供養のために娘に似せた観音像を作らせた。そして伊佐須美神社(3年前参拝済)に安置するために牛に引かせて像を運んでいたのですが。
ここ中田の地までやってきたところで、荷車が壊れ、牛も動かなくなってしまったというんです。
これは観音様がこの地を選んだのだ、と両親は解釈し、ここに堂を建て、観音像を安置した。それが1279年のことでした。
わりとファンタジー色がなくて、事実っぽい物語ですね。
また、野口英世の母がここの熱心な信者で、毎月のように参籠していたという。息子の英世と一緒にここで撮った写真も現存します。
本堂である観音堂には、十一面観音立像が本尊としてあり、重要文化財に指定されています。
この観音像がはたして創建由来となった観音像かどうかはわかっていない。
冬季は閉鎖されていて、中にはいれない。人もいません。
だきつき柱にだきつくと、死の病になったとしても、長くて十日で死ねる、という。これがころり三観音の由来の一つです。
ここの観音像は、先に書いたように若くして死んだ娘の生き写しです。なので彼女は、自分は17歳で長く伏して死んでしまったゆえに、人々に長患いの苦しみを与えたくない、と夢のお告げで言ったとされている。だからコロリ三観音なんです。
北上していくと、遠くに見える白い山は飯豊山です。左の平たい山が飯豊山。
道の駅あいづ湯川・会津坂下に入りました。
ここまで一件も道の駅を見かけず、どうしたものかと思っていた。
ここで職場への土産のほか、野菜やら漬物やら買い込んでおきました。6000円以上買ってしまったよ。
10時すぎ、会津ころり三観音のひとつ、恵隆寺にやってきました。
ここも冬季閉鎖されて無人だな……
ここの創建由来は、はっきりわかりません。
いくつかの伝承はあり、540年に大陸から渡ってきた僧が住み始めたのが始まりだ、という説と、808年に坂上田村麻呂が作ったという説がありますが、どちらも信用できるものではない。本当だとしたら東北最古クラスの寺ということになりますが、いかにも伝説っぽい。
が、中世には今の数倍の敷地と30以上の建物が立ち並ぶ、大寺院だったというのは本当らしい。会津地方最大の寺院勢力だった。
これが今の本堂、観音堂です。もとは鎌倉時代初期の建築ですが、17世紀初頭に地震で倒壊し、もとの部材を使いつつ再建されたのが今の建物だという。
中には十一面観音像のほか、天龍二十八部衆の像もあるはず。
ここにもだきつき柱がありますね。
十一面観音像は、一本の木から削り出された一木造りで、この寺の通称=一木観音の由来です。
観音堂と同じく、鎌倉時代前期の作だと言われていますが、明確ではない。ほんとうなら国宝なのでしょうが、証拠不足なので重要文化財です。
一木造りの仏像としては日本最大といわれる。