冬の福島県・新潟県ドライブ旅行 初日後篇

須賀川市に入りました。
十念寺に到着。
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戦国時代末期創建のこのお寺、ありふれた東北地方のお寺の一つに過ぎず、建物もさして古いものじゃない。
それなのにわざわざ立ち寄ったのは、ここには「シロ」の墓があるからなんです。
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墓地に入ってシロの墓を探します。
おおくの墓は、倒壊したままになっている。おそらくは東日本大震災のときに倒れ、直す人もいないままなのでしょう。銘を見ると、江戸時代の墓がかなりある。もう子孫が近所にいないんでしょうね。
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墓地を探し回り、なかなか見つからん、と焦り始めたらなんと、車を止めたところに一番近い場所にありましたよ。
これが犬塚です。
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生前のシロを写し取った石像とされますが、なんかゆるキャラみたいな造形ですねえw 目の表現が手塚治虫や松本零士みたい。漫画チックな造形で意外だった。
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代参、という言葉があります。本来寺社に参拝したい人とは別人が、当人の代わりに参拝するという行為を指す。
今回の旅行二日目の一つの理由は、三か所の寺に僕が母の代参としてやってきたというのもある。
その代参は明日の予定ですが、ここには有名な「代参犬」の墓があるのです。

代参というと必ずしも人が行うものとは限らない。実は歴史上の事実として、犬が代参した例があるのです。
珍しく、また「いい話」だったゆえに、記録に残りやすい。
有名な例では伊勢神宮への「おかげ犬」と金比羅宮への「こんぴら狗(いぬ)」です。どちらも全国に多数の事例がある。主人が何らかの理由で参拝できない、代わりに行ってもらえる人も費用もない、という場合、犬を代わりに向かわせる。代参犬が描かれた浮世絵もあるくらい、街道の名物でした。
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もちろん、行ったっきり帰ってこない犬もいたでしょうし、送っても送ってもすぐ帰ってきちゃう犬もいたので、成功確率はわかりませんが、しっかりと伊勢や金比羅宮に行って、主人のもとへ帰ってきた犬も多いのです。
代参犬はそれとわかる目印をつけ、必要な金銭を袋に入れてぶら下げていた。代参犬を見ると道行く旅人や先々の宿屋、役人が積極的に協力したからなんですな。この犬は忠実な犬であるのでしっかり世話をするように、という御触書なども残っています。犬がひとりでに伊勢にいったというわけじゃなく、旅人に一緒に連れて行ってもらったというのが実情です。それは代参犬の世話をするのはご利益があると信じられていたからですな。
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無事伊勢や金比羅宮に行って、お札をもらって主人のもとへ帰ってきた犬は、神格化されます。
江戸の場合は犬にしめ縄をかけて町中をパレードしたりしましたし、ありがたい忠犬に触るとご利益があるとも言われ大人気でしたし、犬が死ぬと立派な墓を作ってもらったりしました。特に有名なのがここ須賀川市にある十念寺の犬塚です。ここに葬られている犬は「シロ」といい、東北からお伊勢への往復に無事生還している。シロを代参に出した家は今もシロの供養を欠かさないという。





近くにはもうひとつ、重要な文化財がある。
それが福島空港近くにある、この五輪塔です。
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覆屋で厳重に保護されている中に、すごく巨大な五輪塔が収まっている。
「治承五年辛丑十一月日為源基光尊」の銘が彫ってあり、治承五年(1181年)はギリギリ平安時代、古代の墓石、五輪塔です。
平安時代までは墓石というものは一般的ではありませんでしたが、この五輪塔は出現期の最古クラスの五輪塔なのです。
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源基光は、この石川地域を治める武士でした。元光と書くほうが一般的なのですが、墓石に彫られている名のほうが本名じゃないかと思いますがどうでしょう。
彼の父は源 有光といい、前九年の役で源氏の棟梁源頼義に属し、戦った武将です。戦功により、この石川荘泉郷をもらってここに本拠をおいたのち、石川氏を名乗っています。
墓の主、基光はその三男ですが、兄の後を継いで三代目石川氏当主となっています。彼は後三年の役で源義家に属して戦い、田川郡を追加でもらっています。田川はここからだいぶ離れた飛び地で、現在の山形県西部海岸地域です。
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石川氏はその後ずっとここの領主で、戦国時代末期まで衰えることなく続いた家でしたが……豊臣秀吉の奥州仕置に応じなかった。敵意はなかったのですが、東北の武士たちは中央の事情に疎く、「豊臣なんて家は聞いたことないぞ」 「秀吉ってだれ?」という感覚の者が多かった。公方でもなんでもない、どこの誰とも知らないやつが、今日からお前たちの主だから言う事聞け、とか言ってきてもすんなり応じない者が多かったのです。それで数多くの武家が代々の領地を失った。
しかたなく石川氏は伊達政宗の配下に加わりました。が、伊達家も米沢から仙台へ配置換えになり、石川家一門はこれについていくか地元に残るかで二分します。石川に残ることを決めた家は百姓になり、ついて行った者は幕末まで伊達家家臣として存続する。

明治維新後、伊達家家臣の石川家一族は困窮するものが多く、北海道開拓へ渡った者もいるそうな。
なにしろ古い一族です。長い歴史の中で数多く分派し、矢吹とか中畑とか、30以上の苗字へ別れています。福島県や宮城県にひろく石川一族は分布しています。




須賀川から西へ。
白河へやってきました。
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白河小峰城の駐車場に車を入れました。
清水門が復元工事中で通れないな。
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南北朝時代の築城とされるこのお城、戦国時代は白河結城氏の居城でした。。
白河結城氏は、鎌倉時代からこの地に本拠を置く歴史ある武士ですが、戦国時代に入ると内紛が始まった。戦乱の時代、ちまちまと身内で争っていると外部勢力につけ込まれる。
南から佐竹の侵攻を受け、衰退していきます。
豊臣秀吉による奥州仕置に応じず、小田原へ参陣しなかったために取り潰しになってしまった。先に書いた石川氏と同じです。
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門が通れないので、特設階段から城内にはいります。
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その後豊臣家から蒲生氏が派遣されてきますが、江戸時代に入ると丹羽長重が入る。
著名な父長秀に比べると長重の知名度はいまいちですが、彼の生涯は毀誉褒貶の激しい、波乱の人生でした。
長重は織田家の重臣だった父の遺産を相続しますが、豊臣秀吉に目をつけられる。あれやこれやと言いがかりをつけられ、120万石以上あった領地や家臣を取り上げられ、衰退の一途をたどる。しかし彼は戦の才能があり、それを認められて返り咲きに成功します。

が、関ヶ原合戦で西軍についてしまった。戦のうまい長重は局地戦においては勝利したのですが、肝心の関ヶ原決戦で西軍が負けてしまったために窮地に陥る。丹羽家はいったん取り潰しになります。
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しかし、長重の戦の能力、築城の能力は徳川家にとってまだ必要な才能でした。前田家や徳川秀忠のとりなしで大名に復帰する。そして大阪の陣で戦功を挙げて、ここ白河に領地をもらったのです。領地はかつての10分の1程度でしたが、とりあえずは大名です。



どうみても天守閣なのですが、これは天守ではない。
三重櫓という名称です。1991年の木造復元です。中に入ってみました。
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窓からは白河駅が見える。ってことは駅からもこの城が見えるってことです。城が見える駅ってのは意外に少なくて貴重です。
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JR東北本線の車窓から見えるこのお城、僕には思い出のお城です。
祖母が喜多方に住んでいたころ、夏と冬は喜多方に行くのが年中行事でした。まだ東北新幹線がなかったですからね、上野から東北本線の急行特急に乗って郡山で磐越西線に乗り換えた。
車窓から白河城の石垣が見えてきたら、もうすぐ郡山だ、乗り換えだ、と準備し始めたものです。
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幕末に白河藩は転封になって空き城になっており、二本松藩が管理していました。奥羽越列藩同盟の主戦派二本松藩の最前線となりました。城には会津藩が援軍として入城し、新撰組生き残りも加わりました。すでに近藤は世になく、土方もここにはいませんでしたが、新撰組は斎藤一が率いていた。
100日以上の激戦の末、白河城は炎上し落城。以後ずーっと石垣だけが残るお城でした。子供の僕が見ていたのもこの時期ですな。
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1991年に全国初の木造復元天守が再建され、2011年には東日本大震災で被災、石垣の一部が崩落した。
しばらく立ち入れない状態でしたが、2015年に修復が完了しています。





小峰城歴史館にも入ってみます。
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中は代々の小峰城主に関する展示。
白河藩は非常にひんぱんに城主が交代しており、常に貧しく財政難の藩でした。
もっとも有名な藩主は、寛政の改革で主導的役割を果たした松平定信です。彼は極端な緊縮財政と庶民への締め付けで悪名高い。
しかし、白河に在城していたころに江戸時代最大の飢饉、天明の大飢饉が発生している。このときの対応が巧妙かつ迅速で、白河藩では餓死者をほとんど出さなかったという功績があるのです。地元では名君として知られている。
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現在着々と復元整備が進んでいるこの城ですが、今のご時世、適当な復元整備は文化庁が許してくれません。建物を復元するには根拠が必要なのですが、この城はなんと奇跡的なことに、江戸時代の建物の図面があるのです。安倍氏が入封したときに、城内の建物の実測図面を作らせ、それが現存する。
だから江戸時代にどんな建物が建っていたのか、正確にわかるのです。こんな城は他にめったとない。
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白河から西へ、山の中へ入っていく。
まだ16時前ですが、ちょっと早いがホテルに入ってしまう。
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甲子温泉(かし)近くにある、白河高原カントリー倶楽部が今夜の宿です。
本来ゴルフ場のクラブハウス兼ホテルらしいのですが、冬場は積雪でゴルフができません。ホテルだけ営業してるみたいです。
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部屋は普通のビジネスホテルのシングル部屋と同じようなものですが、冷蔵庫とシャワー風呂がない。
シャワー風呂は大浴場があるからいいんでしょう。でも冷蔵庫ないのはちょっとマイナス。館内の自販機が市価の倍くらいして、これもマイナス。あらかじめ買っておけばよかった。テレビがすごく小さいのが気になるが……まあ僕はあまりテレビ見ないからいいか。冬季オリンピック終盤で、ずっとその中継です。
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早速大浴場の温泉に入りました。
風呂はかなり広い。そして温泉はややぬるめで匂いが少ないタイプです。展望の良い窓からは、本当は雪景色が見えるはずなのでしょうが、この暖かさで雪は少ない。この光景って3月末とかのものなんだろうなあ。
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さほど大きくないこのホテルではありますが、意外なことに満室らしいのです。夕食は17時とかなり早い時間帯しか空きがなかった。
ビュッフェではなくて、コースで出てきます。まずは前菜。
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メインは天ぷらと味噌鍋です。ご飯は混ぜご飯。
とても美味しい。特に味噌の味が僕のすきなタイプです。少ないかなとか思ったのですが、食い終わってみると満腹!もう苦しいくらい。
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今朝は3時半起きでしたからね、9時には眠くなってしまった。
頑張って9時半まで起きていましたが、それが限界でした。くたっと寝てしまった。

by punto1150 | 2026-03-14 19:16 | ツーリング・旅行 | Comments(0)

Vストローム800DEとランドローバーディフェンダーで遊びに行く日記帳です。


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