京都二泊三日旅行 二日目(4)

すっかり京都市街に戻ってきました。
13時過ぎに八坂神社に入ろうとしたのですが、地下駐車場はバイクが入れない。
なので円山公園にバイクを停めることにしました。とめていいのかわからんのだけど、いっぱいバイクが止まってるのでいいんじゃないかな。
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八坂神社は混雑してそうだなーとは思ってたんですが、予想外の事態が起きた。
なんと、節分の豆まきやってるんです。
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舞妓さんが舞台の上で踊り、それが終わると舞妓さん、芸妓さん、年男、巫女さんたちが袋に入った豆をまいていて、それはもう大混雑です。
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こりゃとても参拝なんてしてられる状況じゃないな。
豆欲しかったけど、袋に入った豆は空気抵抗が大きくて遠くまで飛ばない。先頭列から三列目くらいまでしか飛ばないんですよ。この様子は夜のニュースでやってた。
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八坂神社は、祇園の街にあるスサノオノミコトを祀る神社です。
というか、祇園という地名はこの神社がもととなっている。この神社、かつては祇園社と呼ばれていた寺だったのです。

その命名の由来は、祭神スサノオノミコトが牛頭天王と同一視されていた事によります。平安時代に普及した神仏習合、その思想に本地垂迹説がある。日本の神様は、仏様が仮の姿を取って現れたもので、本来同一のものである、という考え方です。それを権現、と呼ぶ。権とは仮の、という意味で、仮の姿で現れた状態を指します。
まあ、もちろん根も葉もない作り話なんですが、当時は真面目に信じられていた。

その本地垂迹説では、スサノオノミコトは仏教の牛頭天王と同一だ、という。
なんでそんな話になったのかはよくわかりませんが、おそらくスサノオノミコトと牛頭天王の荒々しい立ち振舞に共通性を見たのでしょうな。
で、牛頭天王というのは仏教において祇園精舎=釈迦が説法を行ったインドの寺院 の守り神なんです。
だからスサノオノミコトが祀られる神社を祇園神社とした。

創建時期と由来についてははっきりしませんが、有力な説が平安時代中期876年に僧・円如が建てた寺がベースになっているというもの。僧侶が作ったものですから、当初は純粋な寺だったようです。

869年に全国で疫病が流行り、その鎮圧のために御霊会が行われましたが、それが毎年恒例となり、877年に祇園社で御霊会が行われた。それが祇園祭の起源だそうな。
10世紀に入ると延暦寺や興福寺といった寺院が軍事力を持ち、強大な力を行使するようになる。当初興福寺の一派だった祇園社は、両者闘争の結果延暦寺の軍門に下り、以降京都における延暦寺の出先機関として活動し、たびたび僧兵を街に繰り出してデモンストレーションを行う。延暦寺の指示によって法然の墓をぶち壊しに行ったのも祇園社の僧兵です。

室町時代にはいると徐々に延暦寺の影響力は弱まっていき、応仁の乱によってかなりの部分が焼亡します。織田信長による延暦寺焼き討ちの後は完全に独立した寺となり、江戸時代に徳川家によって現在の本堂を初めとして多くの建物が再建され、明治に至る。

人混みで接近できない奥の本殿は、江戸時代初期の建築。国宝です。
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明治維新後の神仏分離令までは仏教の牛頭天王を祀る祇園社と堂々と名乗っていましたので、門前町は祇園と呼ばれるようになったのは当然の成り行き。
そして神仏分離によって牛頭天王を祀ってますとは言えなくなり、スサノオノミコトを祀る八坂神社と改名し、今に至るわけです。




円山公園のバイクのところに戻ってきました
ここから知恩院がすぐです。歩いて行くか。

知恩院に入りました。これまでは行ったことがない、始めて参拝する寺社を巡ってきましたが、ここ知恩院は2回目です。
と言っても、前回来たのは50年近く前のこと。小学校の修学旅行以来の参拝です。細部はまったく覚えてないけど、やたら巨大な寺だったことだけは覚えてる。
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この巨大な門は三門といって国宝になります。
江戸時代初期の1621年の築。
現存する寺院の門の中で最大のものなんですな。東大寺の南大門よりでっかいのです。僕は長らく勘違いしてたのですが、全国のお寺にある門、山門というのは当て字だったらしい。正式には三解脱門、略して三門というのが正しいんです。
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平安時代末、法然はこの地に住み、念仏を広める活動をしていました。地名は吉水、法然は生涯の大半をここで過ごしている。
一度流罪になりましたが、許されて京に戻ってくるとまたここに住んだ。法然はここで死に、ここに葬られました。吉水といえば法然、浄土宗の聖地なのです。
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法然を初めとする平安時代末期の新仏教は、真言宗や法華宗を初めとする旧仏教の敵でした。
法然の墓所はお隣り八坂神社(当時祇園社という寺)の僧兵によって打ち壊されていますが、すぐに再建されています。

知恩院は正式には知恩教院大谷寺(ちおんきょういん おおたにでら)といいますが、創立当初は今のような巨大寺院ではなくて、吉水の地に散在するいくつかの寺や庵の集合体だったようです。
室町時代に一回焼失、応仁の乱でまた焼失、しばらくのあいだかなり小規模な形で存続していたようです。

江戸時代初め、徳川家は浄土宗でしたので、一気に大規模な寺を建てた。
それが現在見られる知恩院の建物のほとんどです。
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この本堂は、正式には御影堂といって国宝です。江戸時代初期の建築。建てられてすぐに一回焼けてしまいましたが、三代将軍家光が再建しました。知恩院の建物はどれも非常に巨大ですが、この本堂は一段とでかい。
本尊という形ではありませんが、事実上の本尊が法然上人の像です。
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これは勢至堂知恩院で最古の建築で、戦国時代の1530年の建築です。しかし!!工事中で入れない!!
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勢至堂の本尊は鎌倉時代製作の勢至菩薩像ですが、それよりもこの建物の意義はここにかつて法然の住んでいた家があったということです。なぜ勢至菩薩なのかというと、浄土宗においては法然は勢至菩薩の生まれ変わりということになっているから。
建物は重要文化財となっています。

by punto1150 | 2026-02-24 19:47 | ツーリング・旅行 | Comments(0)

Vストローム800DEとランドローバーディフェンダーで遊びに行く日記帳です。


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