10時半に醍醐寺に到着。
醍醐寺は平安時代中頃、真言宗の寺として創建されました。
場所的には京都の外れにあって、山科と宇治の中間辺りですね。現在でもかなり広大な敷地を持ちますが、かつては周辺の住宅地をあわせて、今の何倍も広かった。
醍醐寺は創建以来天皇家との非常に密接な関係をもち、今は残っていませんが平安時代に建てられた建物の多くが天皇の発願によるものです。
また、中世になると天皇家の人物を座主として迎えるのが恒例となった。門跡寺院ではないのですが、それに近い慣習をもちます。
戦国時代末期、醍醐寺は豊臣秀吉と仲良くうまくやることに成功しました。有名な醍醐の花見を開催したのはここです。秀吉によって保護され、多くの建物が再建されました。
醍醐寺は十数万点ともいわれる膨大な寺宝をもち、国宝や重要文化財も多数含まれる。
その理由は、京都の外れにあったために応仁の乱で「全焼はしなかった」から。燃えることは燃えたけど、全部じゃなかったんですな。
広大な境内に、あちこち空き地がある。もとは建物があったんでしょう。
その燃えなかった建物の一つが、この五重塔です。
平安時代951年に完成した、醍醐寺最古なのはもちろん、京都府で最古の建築です。
洛中では千本釈迦堂の本堂が鎌倉時代の築で最古なのですが、京都府ではこの五重塔が最古となる。国宝です。
こちらの金堂は、あいにく元々醍醐寺の建物ではなく、豊臣秀吉が紀伊から移築してきたもの。とはいえ、元は平安時代後期の建物ですので非常に古い。国宝です。
元は紀伊国の満願寺という寺に建っていた建物です。豊臣秀吉は紀伊国の寺社をほとんど焼き討ちにしており、残っているのが不思議なのですが、醍醐寺がちょうど手頃な建物を欲しがっていたために、秀吉は建物をぶんどる代わりに焼かずに済ませたんです。
中には本尊の薬師如来像、四天王像などが並ぶ。
こちらの清瀧宮本殿は室町時代の建築。重要文化財です。
醍醐寺近くのヤマダ電機に寄り道し、USBケーブルを買っておきました。
なんかうちにいっぱいUSBケーブルあるんだよなーいつか使うかもと思って捨てられないのだが、もう10本くらい余ってますよ。これでまた一本増えた。
伏見稲荷大社は手前からかなりの混雑。だが駐輪場は無料なのがいいな。
しかしまあ、神社はもう大混雑。7割くらい外国人です。
中国語喋ってる人がいるけど、台湾人かもしれないしなー。
全国に3000以上あるといわれる稲荷神社。その総本社がここ伏見稲荷大社です。我が家の近所にも稲荷神社がありますが、お稲荷さんこと稲荷大神は由来がどうもあやふやです。
お稲荷様は家庭の守り神、そして商売繁盛の神として信仰され、非常に身近な神様です。よく勘違いされがちですが、キツネはお稲荷様のお使い、眷属であって、神様本体じゃありません。が、稲荷神とキツネが強く関連付けられたことで、キツネをとって食べる、ということは忌み嫌われた。キツネにとってはありがたいことじゃないでしょうかね。
この神社には五柱の神が祀られており、宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)、佐田彦大神(さたひこのおおかみ)、大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)、田中大神(たなかのおおかみ)、四大神(しのおおかみ)です。どれも古事記日本書紀には出てこない、天皇家と無関係の神様。
が、どうもこうした神様がお稲荷様なのかというとそれもあやふや。
この神社の創建由来は奈良時代、渡来人の秦氏は平安京ができる前の京都市域を開拓した領主でしたが、その秦氏が氏神を祀るために建てたものという説が濃厚です。
秦伊侶具(はたのいろぐ)という人物が、本来食べ物であるモチを的にして矢を射たんですが、矢の当たったモチは白鳥に姿を変えて飛び上がった。白鳥はこの神社の裏山に舞い降り、翌年は稲が豊作だったというんです。食べ物を的にするという罰当たりな行為を悔いて、その山の木を自宅に移植して祀ったという。
稲が成った、ということでイナリ山と名付けたというんですな。
地名の由来はこれだとしても、なぜイナリが家内安全商売繁盛の神なのかまったく不明ですし、キツネとの関連も不明です。
キツネはキツネで、動物を神として祀る風習が発展して、この稲荷山の神といつのまにか混じってしまったのではないか、と言われています。平安時代は神仏習合が進んだ時代ですし、そのころに混同が起きたのではないか。
稲荷山山頂にあった神社が麓に移転してきたのは室町時代。山の上の神社はあまりにも参拝が大変で、ふもとに引っ越すというのはあちこちの神社で起きています。清少納言も山頂へ登って参拝していますが、大変だったらしい。
現在も山頂には本社が残っています。
応仁の乱で例にもれなく稲荷大社も焼失。
徐々に再建は進んでいたのですが、豊臣秀吉、徳川家康によって盛大に再建されています。
本殿は応仁の乱のすぐ後に再建された建物で、1494年のもの。重要文化財です。
他の多くの建物は江戸時代の建築です。
正面の楼門は豊臣秀吉による建築。重要文化財です。
伏見稲荷大社の代表的景色といえば千本鳥居。行きも帰りも大渋滞。
江戸時代に京都の商人たちが鳥居を寄進し、だんだん増えていったものです。今やあっちこっちの稲荷神社にこういう鳥居の並びはつきものになってますね。
外国人に大人気の伏見稲荷大社。
着物の外人さんが大はしゃぎです。でもなぜだかレンタル着物だってすぐわかるんだよな。なぜだろう。舞妓さんや芸姑さんが着てる着物と違うと感じるのは、やっぱり安物なのかなあw 生地が薄手だし、なんとなく着崩れたかんじがする。