10時すぎ、高知城を出発します。
高知市街近郊はかなり混雑してるんですよね。渋滞まで行きませんが、なかなか進まない。
北上します。
走りながら考え始めました。この先には6年前に食べて美味しかったひばり食堂があります。できればそこで昼食を食べたい。だが、このまま走っていると11時についてしまいます。営業時間まで30分余る。
道の駅大杉に入り、時間つぶしすることにしました。
売店を見て回りましたが、欲しいものは特になかったな。
そしてひばり食堂に11時15分に到着。6年ぶりの訪問だ。
開店15分前なのだが、すでに20人くらい行列していた。
ですが、開店と同時にすぐに座れました。
カツ丼並を注文。
カツの衣はサクッと、卵は半生、そして超つゆだくです。ご飯がだし汁にひたひたです。
間違いなく美味しい。
が、もーすっかり腹いっぱい。苦しい……並でもギリギリ食べ切れる量です。
そこから山の中へ分け入っていく。
高知県は山がちな県ですが、そこでも相当な山奥の集落です。ここまで僻地だと、どうやって生活しているのか想像が困難です。
その集落の奥の奥、12時半に豊楽寺に到着。ぶらくじ、と読みます。
本当にとんでもない山奥だ。
豊楽寺の創建年代は、奈良時代の聖武天皇のころという伝承です。
あまり信憑性がありそうな話ではないのですが、行基による創建とされる。
東北のお寺がどれも慈覚大師円仁の創建とされているのと同じく、四国の寺はみんな行基か空海が作ったことになっています。行基が四国で活動していたのは事実なのですけど、そんなにいっぱい寺を作れるヒマがあったかどうか。やっぱりどの寺もハクが欲しいのですよね。
これが国宝の薬師堂。
高知県最古の建築であり、また四国最古の建築でもある。はっきり年代はわかりませんが、建築様式から平安時代末期から鎌倉時代初期の建物とされる。
中は見られませんが、同時期の薬師如来像がある。
決して古い建物が多いとは言えない四国ですが、そこでもこれだけ古い建物がここに残っていたわけはよくわかる。あまりにも山奥です。
どこかの武装勢力がここに来よう、なんて思うはずがない。お目こぼしにあったわけです。
元々は今の数倍の建物が建っていたという豊楽寺ですが、江戸時代火事が起きて大半が焼亡しています。この建物はかなり運が良かったわけです。
同じ道を戻り、西へ。
高知県を走っていると感じるのが、クルマバイクへのこだわりです。
概して田舎(失礼!)ではクルマやバイクに金かけている人は少ない。軽自動車ばっかり、良くてもプリウスばっかり走っています。バイクも同様で、スーパーカブやスクーターばかりという印象。
ですが高知県は違う。見かけるクルマ、バイク、多くとは言いませんが、かなりの比率で「いいクルマ」乗ってるなあと感じる。いいクルマとは、高級車という意味じゃなく、外車含めてクルマにこだわりのある人が選ぶ車種、という意味です。今や滅多に見ないシャコタンも良く見る。
バイクも同じくです。
地域性というか県民性みたいなものがあるんでしょうねえ。
国道439号線を西へ走り、道の駅土佐さめうらに13時過ぎに入ました。
今夜の食事を調達したいのだが、あまり適当なものがないなあ。
国道194号線を北上し、にこ淵に14時到着しました。
なんと駐車場はいっぱいです!なんか大人気スポットだなあ。
すごい急な階段を降りていくと、すぐに滝壺が見えた。
めちゃくちゃ人がいるなあ。
ですがこの青さ!
仁淀ブルーと言われる青です。これを見に皆やってきている。
観光客は大勢だが、地元民はあまりここに近づかない。この滝壺には龍神が住むと言われて神聖な場所なんです。
まー三連休ですしね、混雑もしょうがないな。次は平日に来よう。
さらに北上し、国道沿いの湧水に止まります。この湧水は4年前も来ています。
だが、冬だからなのか、水量がすごく少ない。前来た時は数カ所から水が吹き出していたのだが、今日は一ヶ所からちょろちょろです。
この旅行で空いたペットボトルに水を汲んだのですが、水が少なくて時間がかかりました。
194号を北上、長いトンネルを抜け、愛媛県に入りました。
平地に降りてくるともう瀬戸内です。
国道11号線を東へ向かいますが、他とは桁違いに交通量が多い。速度が上がりません。
別子銅山記念館へ15時44分着。神社の鳥居をくぐるからなんだろうと思いましたが、大山積神社の境内にあるんですな。
この神社は伊予国一宮の大山祇神社と同じ音ですから、同じ大山祗命を祀っています。
記念館は無料で見られるんですが、なぜか室内は撮影禁止。
別に撮ったらまずい感じのものはなかったがなあ。
別子銅山はここから2kmほど山にはいったところにあった、世界有数の銅鉱山です。
江戸時代元禄4年(1691年)に発見され、昭和48年まで操業していた。住友財閥のおおきな財源となった事業でした。
住友家って今でも銀行などにその名を残していますが、かつては重工業はじめとして多彩な業種を手掛けた巨大な財閥でした。住友家のルーツは戦国時代までさかのぼる。武士から足を洗った住友政友は、当初仏門に入って修行していたのですが、やっぱり血は争えないものです。彼は京都に本屋とくすり屋を開業した。当初は「富士屋」という屋号でした。
江戸時代初期、養子に迎えた理兵衛友以(ともひと)という人物は当時「銅師」と呼ばれるいわば職人の一種で、銅を加工して様々な製品を作る。そんないち職人を婿養子にした事情はよくわかりませんが、とにかくこの養子が銅金属の専門家だったわけです。
彼の孫、住友吉左衛門友芳(ともよし)は発見されたばかりの別子銅山に目をつけ、この鉱山を独占して開発する許可を得た。これが住友財閥の起点です。別子銅山は、当時世界最大の産出量を誇る大鉱山へと発展した。
四国中央市に入ってからまず満タン給油。そしてコンビニによって今夜の夕食を買っておきました。
17時過ぎ、スーパーホテル四国中央にチェックイン。この日の走行距離は200kmちょうど、燃費は13.1km/Lでした。
この旅行、四泊中三泊がスーパーホテルですけど、これは単に偶然です。別に贔屓ってわけじゃない。が、数あるビジネスホテルの中でもスーパーホテルはトップクラスの良いホテルチェーンです。
なにしろ三連休ですから、ホテル選びは難しかったんですよ。
すぐに大浴場へ向かいます。このホテルの大浴場もやはり5、6人でいっぱいになる大きさです。
旅行に出ると徐々に早寝早起きになってしまうんですが、なんとか我慢して10時すぎまで起きていました。