朝4時半に起床。だんだん早起きになってくるなあ。
今日はすぐ近くの高知城に行きたいので、朝に時間調整です。朝食は7時から。
いかにも朝食、ってメニューで美味しかった。ゆずの汁がついてくるのが高知県らしいですね。魚はサワラ、これも美味かった。
8時半までダラダラ部屋で過ごし、チェックアウト。
高知市街の真っ只中、高知城へ向かったのですが、高知市街はけっこう混雑しています。
高知城の駐車場に9時に車を入れて、本丸へ登り始めます。三連休、かなりのにぎわいです。
高知城は戦国時代末期に作られました。その前にはこの山の名をとって大高坂山城という城があったといわれますが、はっきりしない。
長曾我部元親が豊臣秀吉に降伏し、その後豊臣軍の一員として九州攻めに参加しました。が、初戦で豊臣軍は島津軍に敗北し、元親は嫡子信親を死なせてしまう。
失意の元親は内陸にあった岡豊城からこの地に移転してきた。
その後元親が高知城を使用したかには諸説あります。水はけが悪いこの場所を放棄し、昨日訪問した県立坂本龍馬記念館が建つ浦戸城へ移転してしまったという説と、高知城と浦戸城は並行して整備が進んでいたという説です。
高知城は現存十二天守の一つ。
2021年前回高知城に来たときは、コロナ禍真っ只中。臨時休業で本丸御殿と天守に入れなかったんです。
ようやく本丸御殿と天守閣に入ることができました。
これで現存十二天守コンプリートかな?見ただけならだいぶ前にコンプしてますが、中に入るとなると難易度が上がる。
(あとでしっかり点検してみたら、弘前城天守閣がまだでした)
本丸御殿が現存する城は、日本でここだけです。
高知城本丸はとても小さくて簡素、天守に直結する構造です。
天守閣のなかに入りました。
小さな天守ですので、すぐに見て回れる。
お城を下っていき、ふもとの高知城歴史博物館に入りました。
高知城の博物館ですので、展示は戦国時代から始まる。
今見る高知城を作ったのは、長宗我部が改易されて去ったあとに入ってきた山内一豊です。
まあ、内助の功で有名な一豊は最近読みが「かずとよ」から「かつとよ」に変わった人です。
彼は織田家や徳川家への小さな気遣いというか政治的立ち回りで立身出世した人物で、なにか大きな功績があったのかというとそんなこともない平凡な人物でした。
関ヶ原の戦いのあと、戦での戦功は特にありませんでしたが、その政治的立ち回りが認められて土佐一国を与えられる。最初は浦戸城に入ったのですが、その後がかなり失政がつづく。地元民や地侍の反発を招き、一揆を起こされている。
さらにその後がまずい。山内一豊は地侍衆を相撲興行に招待したのですが、相撲を見ようと桂浜に集まった地侍を一網打尽に捕らえて処刑してしまったのです。
その後でこの高知城を作り始めましたが、地元民の復讐を恐れるあまり、一豊は同じ服装の影武者を6人用意して築城現場に出かけるなど、まあ小心者で卑怯な男です。
土佐の地侍は「郷士」という新たな身分を作ってそこへ入れ、山内家が引き連れてきた関西の武士たちは「上士」とされて郷士たちを厳しく差別した。見ようによっては百姓以下の扱いでした。
大阪の陣が発生したときは、郷士たちはあっさりと山内家を見捨て、みながこぞって脱走、6千人もの土佐郷士が大阪へ向かって長宗我部の旗の下に集まったという。
山内家と地元民とはその当初から反目し、いがみ合っていました。忠誠心なんてものはゼロで、これほど藩と住民が仲悪い藩というものは他には見当たらない。幕末の坂本龍馬も武市半平太も郷士の出身で、上士出身の板垣や後藤とは最後まで仲が悪かった。藩主山内容堂へも、郷士たちが本気で忠義心があったかどうか怪しいものです。