藤沢でお花見

まだ紀伊半島ツーリングの記事の途中ですが、先に季節ネタを上げておきます。
4月上旬の土曜日、家族を引き連れて花見に行ってきました。

大庭城址公園
藤沢市の桜の名所です。さすがにすごい人出です。
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城址公園というのだから、ここは神奈川県では割と知られた城趾。
と言っても、江戸時代の石垣のあるお城じゃなく、中世城郭です。藤沢市の誇る唯一の城跡です。

大庭、というと割と知られた地名だと思います。
平安末期の武士団、大庭氏が作った城と言われている。
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大庭氏といえば、いちばん有名なのが大庭景親。
「鎌倉殿の13人」で國村隼さんが演じており、序盤の敵役でした。印象に残る役だった。

大庭の地は平安中期、鎌倉権五郎景政の領地で、大庭は彼によって開墾されたと言われます。景政は後三年の役で、八幡太郎義家の下で戦った武士。彼は合戦中敵に射られ、右目に矢が突き刺さった。景政はそのままひるむことなく、戦ったという。
その矢を三浦為継が引き抜こうとした際、顔に足をかけたんですな。武士の顔に足をかけるとは何事か、と景政は怒り、為継はあわてて謝ったという。彼の豪傑ぶりと誇り高さを示す逸話です。
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景政は大庭を開拓したのち、伊勢神宮に寄進している。大庭御厨(みくりや)と呼ばれ、その後も慣例的に大庭御厨と呼ばれ続けます。景政の子孫は大庭氏と名を変え、隣接する源義朝と合戦が繰り返される。
源義家の配下だったのに、領土争いが原因で源氏の敵になっているんですな。

時代が下って、源頼朝が石橋山で旗揚げした際、大庭氏は兄弟で敵味方に分かれている。兄の景義は源氏につき、弟の景親は源氏の敵として戦っている。最初に書いた通り、景親は「鎌倉殿の13人」で國村隼が演じていた武士です。
最終的に源氏が勝利を収め、兄は鎌倉幕府の御家人となり、弟は捕まって処刑されています。兄弟で敵味方に分かれたといえば後の真田氏みたいなんですけど、決定的に異なっているのが兄が弟の命乞いをしてない(したけど失敗した?)ことです。

せっかく生き延びた大庭氏でしたが、和田合戦で敗北、ギリギリ滅亡を免れつつも逃亡し、その後ほそぼそと武士を続けていたとも言われる。

戦国時代になると、改めてこの場所が城として使用されるようになります。
あちこちに土塁や堀が残っています。
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太田道灌や伊勢宗瑞(北条早雲)が大庭城を使用してメンテナンスしていたようですが、やがて北条氏が相模国の支配を完全なものにすると大庭城の価値が薄れ、廃城になったようです。
戦国時代の最初の頃にもう使われなくなっちゃっているんです。
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1時間ほどお花見したあと、近くのラーメン屋へ。
城門ラーメンです。

藤沢御当地グルメの一つが城門ラーメン。
生姜の効いた独特のスープは、ここでしか食べられません。いっとき消滅してしまっていましたが、復活したのが大庭のこのお店です。
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量はちょっと減った気がしますが、味は僕が覚えているそのまま。全く変わりません。
ただ、駐車場が無いんだよな。向かいのスーパーの駐車場に停めておくしか無いんです。

by punto1150 | 2025-04-19 18:32 | 日記 | Comments(0)

Vストローム800DEとランドローバーディフェンダーで遊びに行く日記帳です。


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