日光・田代山湿原へドライブツーリング 出発~太田金山城篇

いよいよ本格的にドライブ&ツーリング&登山を再開します。
とはいえ、梅雨まっただなか。行き先の選定が難しい。

雨が降ってきた場合にぱっと下山できるよう、ルートにバリエーションを組める山が良いし、今なら高山植物の開花に合わせて行きたい。
ならば高層湿原だ。

この数年霧ヶ峰高原に立て続けに行っていたのですが、今回は目先を変えて田代山湿原に行ってみることにしました。(田代山湿原と田代湿原は別物です)
栃木・福島県境、有名な尾瀬の湿原の東にある高層湿原です。



朝5時出発。外環道を北上する。
朝から本降りの雨です。今日は雨でも良い。明日の天気がどうかだ。
この季節、雨は降るけど日が長いのがいい。なんせ4時半日の出で、日没は19時すぎ。なんと明るい時間が14時間もあるのです。
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青梅ICで降り、北上開始します。
意外なほど空いている。埼玉県はいつも渋滞してるイメージがあるのですが、今日はとてもスムーズです。雨のおかげでしょうか。
このあたり、古い武蔵野の面影が残っていてよい雰囲気です。
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熊谷の街なかを通り抜け、道の駅めぬまで一回目の休憩。
本降りの雨がやみません。
道が空いていて、ちょっと予想外に早く進んでいます。
桐生あたりで昼飯の予定ですが、このままだと早く着き過ぎる。
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群馬県に入り、太田市に入りました。
ここで寄り道。
金山城です。別名を太田金山城ともいう。
また、この辺り一帯の地名をとって新田金山城ともいう。
ここ太田は古地名で言う上州新田郡なのです。新田義貞の名字の地、そして(実在しませんが)木枯し紋次郎の出身地です。
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もうすっかりザーザー降りの雨です。正直、車の外に出るのがかったるい……
でも頑張って歩きます。
この城は発掘調査中、整備がかなり進んだときと二回来ています。今回は三回目、そして10年ぶりになります。

太田金山城は、太田市の北にそびえる標高235mの小山。
室町時代中期、金山(新田山)山頂に新田氏の末裔、岩松氏によって築かれました。この時期としては非常に珍しい、石垣づくりの城です。
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石を割って作り出した堀切がある。すっかりきれいになっていて感慨深い。
石垣づくりの城はこの時期珍しいんですが、この山は全山岩の山。それも比較的割りやすい流紋岩でできていて、堀を掘るのも平場を作るのも岩を割る必要がある。城を作る段階で大量の石が出て、それを積み上げたわけです。
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金山城主、岩松氏の運命はおもしろいのです。
いかにも戦国時代という下剋上の世の中を有為転変しつつ生き延びてきた。
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岩松氏は、新田氏の末(を自称)という名族でありつつも実力に欠けていた。14代目岩松氏純は1529年、家臣の由良氏の横暴に腹を立てて殺そうとしたのですが、返り討ちにあって自害。その子守純があとを継ぎましたが、金山城を留守にしている間に由良氏が謀反を再度起こして城に帰れなくなるという事態が起きた。
このとき、戦国大名としての岩松氏は滅亡したわけですが、守純自身は生き延びました。

やがて謀反人由良氏は横瀬と名を変えて金山城に居座り、北条氏の傘下に入ります。が、その北条氏も豊臣氏に攻められて滅亡、金山城も廃城、岩松守純は文字通りのプー太郎になってしまうのです。
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北条の代わりに関東の領主となった徳川家康は大の名族好き。
家康は新田氏の末裔が生きていると知り、守純を呼び出します。名族新田氏を復興させてあげようという意図があったのです。
渡りに船のはずの守純、なんと家康の頼み、新田の家系図を見せてほしいという要望を断ってしまったんです。馬鹿なのか誇り高いのかわかりませんが、岩松氏の復興ののぞみは絶たれました。
(岩松氏が新田の末裔ということじたい、かなり怪しいので自信なかったのかもしれないです)

家康のやさしさかどうかわかりませんけど、岩松守純はたった20石(のち120石)の領地を与えられ、新田姓を名乗ることも許されず、最低ランク生活ギリギリの零細旗本として江戸時代を生き抜きました。あまりに貧乏で、ネズミよけとして猫の絵を描いて売っていて、猫殿様と呼ばれていたといいます。(旗本は領地では殿様と呼ばれていました)
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しかし極貧岩松氏にチャンスが訪れる。
明治維新です。

積年の恨みを晴らすため、新田氏の再興を果たすため、また勝ち馬に乗るため、当主岩松俊純は挙兵します。姓を新田に戻し、新田勤王党という民兵組織を立ち上げ、紆余曲折あってなんとか功績を上げることができた。官軍としての働きは大したことしてないんですが、一応官軍は官軍です。
維新後にその功を認められて男爵=華族として復活し、新田氏は今も現存しています。
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土砂降りの雨の中、城の中の休憩所に行くと、猫がぐうぐう寝ていました。
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となりのベンチに腰掛けると、猫が自ら隣にやってきて、背中を撫でろと要求してきた。栄養状態がよく、毛並みが良い。だれか世話をしているようです。
城主の末裔が猫の絵を描いていたからか? この城には人懐こい猫がいる。
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この猫、ぼくの膝の上に乗ろうという態勢になったので、あわてて立ち上がりました。膝で寝られたら雨の中ここに足止め食っちゃうよ。なんか餌持ってくればよかったかな。

山頂には新田義貞を祀る新田神社があります。
かつての本丸あとです。
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金山城を1時間ほどぶらつきました。
もう膝から下がびしょ濡れです。


by punto1150 | 2020-07-07 19:33 | ツーリング・旅行 | Comments(0)

Vストローム800DEとランドローバーディフェンダーで遊びに行く日記帳です。


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