戦中の田舎の暮らし

「この世界の片隅に」の二回目を鑑賞してきました。

この映画は戦前戦中の庶民の暮らしぶりを生々しく、あざやかに描写している。
亡くなった年寄りたちの話を思い出してしまうのです。


母方の祖父は、東京大空襲で亡くなりました。

そのころすでに僕の母が生まれており、僕の祖母は会津の実家に疎開し、母を育てていた。
郡山などは空襲を受けていたものの、喜多方は一回も空襲されておらず、米軍機を見た記憶もないそうです。

さいわい、祖母は田舎の庄屋の生まれで、生活には何一つ不自由はなかった。
食糧不足なんてのは都市部の話で、田舎には都市へ回
らない分の食料がたっぷりあった。庄屋の屋敷には牛や鶏を飼っていたし、池に鯉も飼っていた。当時珍しかった動物食を普通に食える家でした。







祖母は当時の女性としては高学歴で、福島県女子師範学校を出て、東京の教員、そして疎開してからは喜多方の教員をやっていました。戦争の記憶としては、都市から疎開してきた子どもたちで学校が大にぎわい、教室に入りきれないほどだったという。

祖母は僕ら孫にはとてもやさしい、すばらしいおばあちゃんでした。僕はいわゆるおばあちゃん子で、喜多方に祖母が暮らしていた頃は年二回はまちがいなく会っていた。

でも、戦前の田舎の庄屋=古い支配階級 の生まれで、その上当時としてはかなりの高学歴。ものすごくプライドが高くて、庶民の百姓を見下してるところがありましたねえ。いわゆるお嬢様だったのです。近所の人達からは「先生」と呼ばれていました。昔の学校教員は偉かったんです。



僕の母は戦中生まれですが、戦争の記憶はまったくない。
ですが戦争直後に就学し、そのころの学校をよく記憶しています。

戦中戦後の食糧不足は、実は昭和29年頃まで続いた。
むしろ、戦中よりも戦後のほうが飢餓状態がひどく、影響は田舎の会津まで及んだ。
その中、僕の母は裕福な家でしたので、学校へおかずと白飯の入った弁当を持って行けていたのです。
しかし、クラスのほとんどがろくな弁当を持ってきていない。
悪くすると弁当自体持ってきていない子供もいた。
なので、クラスの担任の先生は昼時になると母の弁当を取り上げて、半分以上空腹な子に分け与えてしまったそうです。学校給食が始まる前の話です。

先生としてはそれは正しいのでしょうが、母としては非常に不満だったようで、いまだに文句言ってますよw
両親ともにこの年代共通の嫌な思い出、脱脂粉乳や芋ご飯のことはよく覚えていて、未だに牛乳やさつまいもが嫌いだというのもこの年代の共通点でしょうね。

「この世界の片隅に」を見て、こうした老人たちの昔話が、ビジュアルをともなって迫ってきた。実感としてイメージできた。
そんな時代が実際にあったのだと理解できた。

ちなみに「この世界の片隅に」で出てきたバカな憲兵なんですけど、僕の祖父母たちも憲兵のことを語っておりました。
本当に、どうでもいいような服装やカバンのことでケチを付けてきて怒鳴りつけたりネチネチいびったり、嫌な奴らだったようです。僕の祖母はアッパッパというワンピースのスカートを着て銀座を歩いていたら、憲兵が文句つけてきて、謝り倒して逃げたんですが、まあ内心は「馬鹿な連中」と思っていたんですよ。
今現在に伝わっている「憲兵」のイメージはほぼ間違っていないのです。現代の交通機動隊をもっとバカに横暴にしたかんじですね。


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Commented by うー at 2016-11-26 12:54 x
久しぶりにアッパッパという言葉に出会いました。父が生前この世界に再び軍靴の音が聞こえるようだ、と言っていましたが、歴史は繰り返すと言う通りそちらの方向へと向かいつつあることを懸念しています。戦争の話し、実際に体験していない者にとっては単に言葉だけで終わってしまいますが、実際に体験された方々がどんどん少なくなる我が国の今後が心配です。今でも戦火に包まれている国は多いですが、それを日本の人たちがどれだけ身近に感じているかはわかりませんね。戦争はせいぜい模型の域でストップしたいものです。
Commented by punto1150 at 2016-11-26 19:35
うーさん
アッパッパという単語は、たぶん今40代以上でないと聞いたことないようです。祖母が着ていた姿をよく覚えています。木綿のストンとしたワンピースのことをいうんですよね。

この世界の片隅に を見て、僕が子供の頃に聞いていた年寄りの話がバッと頭のなかに蘇ってきました。職場で周囲に聞いてみると、どうも30歳未満の年齢層だと、祖母であっても戦後の生まれで、戦争の話を聞いたことが無いという人が多かった。
僕がこんな記事を書いたのも、何かに書いておかないともう思い出すことも文字に残ることもないのではという危機感を抱いたからなんです。

もうすぐ、戦争の記憶を持つ人達がいなくなってしまいます。そうなったあとは、日本では戦争ってのは一種のファンタジー、想像の世界の出来事になってしまうのかもしれません。
by punto1150 | 2016-11-25 18:50 | 日記 | Trackback | Comments(2)

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