祖父母から聞いた戦争の話

「この世界の片隅に」を見て、祖父母の話を思い出した。

父方の祖父と祖母は東京で大空襲を経験しており、母方の祖父はその大空襲で死んでいます。
もちろん僕の両親が出会う前ですから、偶然です。
母方の祖母は会津の田舎で過ごしており、直接戦争を見聞していません。

皆すでに故人となっていますが、子供の頃から戦争中の話をよく聞いていた。僕は幼稚園の頃からミリタリーファンですからねえ。


その中で一番印象に残っているのは、父方の祖母が東京大空襲を経験した時の話。





父方の祖父母は当時東京の青砥というところに住んでいたのですが、祖母は空襲当日は学校の校庭に掘られた防空壕に僕の父をだいて入っていたそうです。
横穴のトンネル型の防空壕ではなく、縦に掘った塹壕みたいな防空壕。祖母がそこへ入ったのは一度二度ではなく、空襲警報のたびにその公共壕へ入っていたそうです。
青砥は低湿地帯で、穴の底から水が染み出してきて冷たく、足が濡れて辛かったという。

空襲が始まると、壕から頭を出すのは禁止。なので、何が起きてるのか見える範囲が狭い。ほぼ、真上しか見えない。

その真上を、ものすごい低いところをB29が次々に飛んでいった。
銀色の飛行機に町の火災の炎が反射し、オレンジ色に輝いていた。それがとてもきれいだった、と。

校舎の方を見ると、校舎の窓がみなオレンジ色に輝き、これは校舎が燃えているのだ、と勘違いした。
じつは町の火災の光が校舎の窓ガラスに反射していただけでした。

戦争の目撃談を見聞すると、しばしば「美しかった」という言葉が見える。
祖母の目には、光り輝くB29がとても美しく見えたのです。



同じその日、祖父は空襲でおきた火災と格闘していた。
消防団に所属していた祖父は、燃え上がる町の中を、手押しの消火ポンプを引っ張って走り回っていたそうです。体中やけどして、髪の毛が焦げて、ほとんどなくなってしまったという。
祖父は数多くの悲惨な遺体を目にし、特に印象深いのは、顔が半分なくなっている遺体だったとか。


母方の祖父はその日に死んでいます。
大空襲はあまりに死者数が多く、長期間「行方不明者」とされてきましたが、戸籍を見ると戦後の昭和21年に除籍されている。
遺体が確認されたかどうかはわかりません。おそらく、確認はできない状態だったでしょう。


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by punto1150 | 2016-11-23 15:09 | 日記 | Trackback | Comments(0)

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