足柄古道を(全部)歩いてきました その2

間にクマの記事を入れましたが、足柄峠を越える徒歩の旅は続いています。

見晴らしの良い道に出ました。
左に金時山、右に矢倉岳、その間の低い所が足柄峠です。
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古道は今現在、廃道に近い部分もある。
車も人もほとんど通った形跡がない。誰一人出会いません。
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さて、律令時代には現在の広い県道をメインルートとして使ってたんじゃないか?と書きましたが、じゃあ今歩いている足柄古道はいつの道なのよ?って問題がある。
つまり、奈良時代以前の、本当に古い道なんじゃないか。
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というのも、この道が「尾根道」だからそう考えられているのではないかな。
人間が山を歩くとき、本能的に尾根の上か谷の底を通ろうとする。現代の登山道はどれも大半が尾根道か谷底の道ですからね。
地形図を見ると、足柄古道ははっきりと尾根の上を通過しているのです。



お、イノシシ&鹿よけのフェンスだ。
これを手動で開けて通ります。
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現代の県道=奈良時代以降の道に再び出て、また分岐する。
このあたりは尾根から降りているので、多分古道から外れて、江戸時代の道に入っています。
そして、江戸時代は矢倉沢関所があった場所です。
矢倉沢往還は、江戸時代の箱根裏街道でしたから、当然こっちにも関所作りますよね。箱根の関所よりマイナーで規模も小さいのですが。
ここの集落は、関場、と呼ばれます。
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ここから再び、古道へ入る。
このあたりから本格的に峠を登り始めます。
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が……
荷物が重い!!!

高校生の時は平均でも20kgオーバーの荷物を背負って歩いていたのですが……
今となっては18kgがきつい。つらい。

一泊二日のテント泊登山を想定した荷物なのですが、なぜそんなものを背負ってみようと思ったのか?
それは、この先の登山を考えると、どうしても日帰りじゃ登れない山が出てきたから。
往復18時間とか、絶対日帰りじゃ無理です。僕はアドベンチャーレーサーでもないし、SAS隊員でもない。

となると山の中で宿泊するしかないのですが、そうなると山小屋かテントの二択になる。
だが……僕は山小屋が苦手。
なんせ、仕切りのない雑魚寝が山小屋の宿泊です。
深夜まで喋ってる奴はいるし、未明からゴソゴソ動き出し人の足を踏む奴がいる。
おまけに山小屋の主人は変わり者が多い。平地ではまず見かけない、偏屈ジジイが山ほどいます。
(高校生の時の記憶)

無人の避難小屋なら静かでしょ、と思って泊まったら、今度は怒られないと思って酒飲んで騒ぐ奴がいる。
経験上、こういうマナーの悪い登山客は、おおくが年配客です。

僕は比較的、いつでもどこでも寝られる神経の持ち主なのですが、限度ってものがある。

翌日は当然寝不足です。
寝不足の登山ほどつらいものはない。

なのでテント泊、となるわけですが、そうなるとこの、今現在遭遇している荷物の重さが……
今のテントは相当軽くなっているので文句は言いたくないのですけど。
超軽量テントを買えば、とは思いますが、軽量化と価格は比例する。どんなジャンルでもそうですね。


つまり、山の中で寝泊まりするには、寝不足とイライラを覚悟で金払って山小屋に寝るか、重たい荷物を背負ってテント泊するかの二者択一なのですよ。





冬にここに来た時は、舗装路右の土の道を歩いたのですが、初夏の今日、雑草が生い茂って歩けないです……
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お、金太郎の生家あと?
前回は気が付かなかったな。
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説明板によれば、平安時代中頃、酒田村から地蔵堂そばのこの地へ嫁いできた八重桐という女性が、ここにあった家で金太郎を産んだのだそうです。
しかし、金太郎が少年時代に戦乱でこの家がつぶれ、八重桐は逃げて一人で金太郎を育てたとか。


そういえば金太郎は成人して坂田公時を名乗っています。
酒田→坂田 として名乗っているのか?
ちなみに酒田村とは、今の開成町酒田のこと。僕が出発した大雄山駅の近くです。

ほかにも、金太郎の遊び石とか、金太郎にまつわる様々なものが点在している。


とまあ、足柄古道は金太郎=坂田公時ゆかりの地なのですが、彼は実在したかどうか、不明の人物なのです。

赤い前掛けにまさかり担いでクマにまたがったあの容姿、あれはすべて江戸時代の創作。
仮に実在していたとしても、おそらく平安中期の一般的な子供、普通に薄汚れたはなたれ小僧だったんでしょうねw
そして、有名な源頼光たちとの邂逅、あれも小さな子どもの時ではなく、ある程度大きくなってからの話と考えるのが自然。
小さな子供連れで京都へ旅はできないし、部下にしようとも思わないでしょう。

ってわけで、足柄古道周囲にある金太郎ゆかりのものはすべて、後世の創作です。
といっても、嘘だと決めつけるのではなくて、想像力を働かせて楽しむのが歴史マニアでしょう。

金太郎=坂田公時は頼光四天王として酒呑童子との戦いに活躍しますが、それはのちの話。


地蔵堂に到着。
かなり昔、少なくとも平安時代にはここに地蔵堂があり、それがそのまま地名になっているのです。足柄峠を越える旅人は、ここへ参って旅の無事を祈願したとか。
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左が古い道、下の広い道は平成に入ってから造成された新しい道です。
ほんの10年くらい前までは、左の狭い道を車で走っていました。
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まだつづきます。


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by punto1150 | 2016-06-26 19:09 | 登山・ハイキング | Trackback | Comments(0)

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